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世界が世界を自覚する [生きる意味(その125)]

(29)世界が世界を自覚する
 そうしますと、仏の悟りとは一体何か。
 こう考えたらいかがでしょう。世界が仏という<場>で世界自身の真理を自覚したのだと。仏が世界の実相を掴み取るのではなく、世界が世界自身を自覚すると考えてみようと言うのです。命題(ことば)とは世界が自分自身を自覚する時に取る形に過ぎないと。
 釈迦が縁起の法を掴み取ったとしますと、釈迦自身は縁起の法からこぼれ落ちてしまいます。なぜなら、釈迦はすべてがつながりあっている世界をその外から眺めることになり、縁起の法を自ら裏切ってしまう結果となるからです。ですから、釈迦が縁起の法を掴み取ったのではなく、世界が釈迦という<場>で縁起の法を自覚したのです。世界が自分自身の真実の姿を釈迦において自覚したのです。
 世界が他ならぬ釈迦において縁起の自覚に達したのは決して偶然ではないでしょう。縁起の自覚にはそれまでに長い前史があり、釈迦もその歴史に繋がっていたからこそ、その自覚の場になることができたのです。更に言いますと、その自覚はそれで完結した訳ではありません。世界の自覚はさらに深まり、例えば親鸞という<場>において新たな自覚に達したと言うこともできます。
 いやいや、あなたやぼくも世界の自覚の<場>なのです。あなたやぼくが縁起の法を生きているというのはそういう意味です。あなたが縁起の法を手に入れるのではありません、縁起の法があなたを手に入れるのです。ぼくが縁起の法を知るのではありません、世界がぼくにおいて縁起の法を自覚するのです。


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