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「縁」ということ [生きる意味(その129)]

(3)「縁」ということ

 「縁」が出てきました、「人を殺せないのはお前の心がよいからではない、ただお前にそういう縁がないだけなんだ」と。縁があれば、百人千人でも殺してしまうが、縁がないから一人も殺せない。
 人を殺す原因が「心」にあるなら、ある人は「心」がよいから殺さないが、ある人は「心」が悪いから殺すことになります。これが普通の考え方でしょう。そう考えることで殺人の責任を問うことができ、殺人をした者を罰することができるように思えます。でも本当にそうか、と親鸞は問います。
 誰でも激情に駆られて人を殺してしまうかもしれないではないかと。憎しみの激情は突如ぼくらを襲います。ぼくが誰かを憎むというよりも、憎しみがぼくに襲い掛かる。その結果として気がついたら人を殺してしまっていた、というのが実際ではないのか。
 少し前になりますが、テレビをつけましたら、NHKで「いじめ」特集をやっていました。ところが、やたら長いばかりで、途中でいやになって消してしまいました。どうにもピントがずれているのです。話題はいじめる子といじめられる子に絞られ、周りにいるその他大勢の子たちに視線が向かないのです。そこにこそ問題の本質があるのに。
 いじめの本質は、いじめる子にある訳ではなく、ましていじめられる子にある訳でもありません。いじめを傍観しているその他大勢の中にあるのです。


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