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ふとした縁で誰でもいじめを [生きる意味(その130)]

(4)ふとした縁で誰でもいじめを

 いじめが起こると、みんなの眼はいじめる子といじめられる子に注がれ、「こんなヒドイいじめをする子は許せない」、「いや、いじめられる側にも原因があるよ」という議論になりがちです。
 この議論に関して言えば、いじめる側が悪いのであって、いじめられる側に何等咎められる理由などないのは明らかです。たとえいじめられる子に何か非があるとしても、その非を注意すればいいのであって、いじめて良い訳ではありません。いじめて良い理由などどこにもありません。
 それはもういいでしょう。問題はいじめを傍観したり、はやし立てたりする周りの子たちです。あるクラスにいじめが起こるのは、そのクラスにいじめっ子がいるからではありません。そこにいじめを認める雰囲気があるからです。いじめを容認する雰囲気がいじめっ子を生み出しているのです。
 どんなにヒドイいじめっ子がいるとしても、いじめを認めない雰囲気があれば、いじめはまず起こらないと思います。たとえ起こったとしても、誰かの「おい、やめろよ」の一声ですぐ収まるでしょう。火種はどこにもあります。問題はそれが何かに燃え移り火事になる状況にあるかどうかなのです。
 いじめの本質がいじめる子にあるのではなく、いじめを傍観する周りの子たちにあるということは、ふとした縁で誰でもいじめをしてしまうということに他なりません。


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