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『末燈鈔』を読む(その20) ブログトップ

第4段 [『末燈鈔』を読む(その20)]

(17)第4段

 最後の第4段です。

 浄土宗のなかに真あり、仮あり。真といふは選択本願なり、仮といふは定散二善なり。選択本願は浄土真宗なり、定散二善は方便仮門なり。浄土真宗は大乗のなかの至極なり。方便仮門のなかにまた大小・権実の教あり。
 釈迦如来の御善知識は一百一十人なり。『華厳経』にみえたり。南無阿弥陀仏

 (現代語訳)浄土宗の中に真実の教えと仮の教えがあります。真実の教えというのは、阿弥陀如来が選ばれた本願の教えで、仮の教えというのは、定善・散善の教えです。阿弥陀如来が選ばれた本願の教えが浄土の真実の教えで、定善・散善の教えは方便の教え、仮の教えです。浄土の真実の教えこそ、大乗の中の至極です。方便の教え、仮の教えの中にまた小乗・大乗、権教・実教の別があります。
 釈迦如来が教えを受けられた師は百十人です。『華厳経』にそう書かれています。南無阿弥陀仏

 最後に、浄土の教えにも真実と方便があり、「臨終の来迎」とか「有念・無念」というのは方便の教えで、真実の教えではないと総括しています。
 ここに浄土宗と浄土真宗ということばが出てきますが、これは今日の意味とは違うことに留意したいと思います。今日では、浄土宗は法然が開いた宗派で、浄土真宗は親鸞を開祖とする宗派のことですが、ここで親鸞が浄土真宗といっているのは、浄土の真実の教えということで、それは法然の教えに他なりません。そもそも親鸞には新しい宗派を開くなどという気持ちは微塵もなく、ただ法然の教えを自分流に説こうとしていただけです。


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