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『末燈鈔』を読む(その47) ブログトップ

二河白道(つづき) [『末燈鈔』を読む(その47)]

(8)二河白道(つづき)

 進退窮まったそのときです、不思議な声が聞こえてきます。
 「ひんがしのきしにたちまちにひとのすすむるこゑをきく。きみただ決定してこの道をたづねてゆけ。かならず死の難なけん、もし住せばかならず死せんと。また西のきしのうへにひとありてよばふていはく、なんぢ一心正念にしてただちにきたれ、われよくなんぢをまもらん。すべて水火の難に堕せんことをおそれざれと」。
 東岸からは「そのまま行きなさい、そうすれば救われる」の声が、そして西岸からは「そのまま来なさい、救おう」の声が聞こえてくる。東岸の声は釈迦、西岸の声は弥陀です。
 よくできた譬えだと思います。まだ西岸ははるかかなたです。波浪と火焔(これは貪愛と瞋憎を譬えています)で向こうは見通せないかもしれません。でも旅人の耳に「そのまま来なさい、救おう」の声が届き、白道に一歩踏み出したとき、旅人はもう救われたのです。この白道は、まだ浄土ではありません。でも、もはや穢土ではありません。穢土でもなく浄土でもない不思議な世界です。穢土と浄土の境界にあって、どちらでもないが、裏返せば、どちらでもある。
 いままた日韓関係がぎくしゃくしていますが、少し前にテレビで朝鮮半島と日本との長い歴史的交流を追う番組をやっており、面白く見させてもらいました。その中で倭寇のことが取り上げられ、ある歴史学者が、倭寇とは日本人か朝鮮人かという問いは意味がないと述べていました。あれは日本と朝鮮の境界に住んでいた人たち、従って日本人でも朝鮮人でもないいわば「境界人たち」の活動と捉えるべきだと。
 朝鮮半島と日本列島の間には対馬や済州島があり、古来そこに住む人たちは半島と列島の間を行き来してきたのです。彼らには日本人とか朝鮮人とかの意識はなく、海を舞台に生きる民として交流してきたのです。海の真ん中に国境線を引いて、日本人だ朝鮮人だと区別するようになったのは近代以降のことです。それまで彼らは日本人と朝鮮人の境界にあって、どちらでもありませんでしたが、裏返せば、どちらでもあったのです。


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