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『末燈鈔』を読む(その49) ブログトップ

第4通 [『末燈鈔』を読む(その49)]

(10)第4通

 第4通です。この手紙は第3通とまったく同じ日付けで、宛先は真仏房となっています。内容も第3通と共通していまして、信心をえたひとは「如来とひとし」ということです。同日に同じ趣旨の手紙が2通したためられ、一通は性信房へ、もう一通は真仏房へ宛てられたということです。
 当時は郵便制度があったわけではなく、たまたま東国へ行く人がいれば、それを便りに手紙を託すしかありませんから、同日の日付けとなったのでしょう。そして真仏房については、前に言いましたように、性信房とともに親鸞が信頼する念仏者で、高田門徒の中心人物です(2章-2参照)。

 これは経の文なり。『華厳経』にのたまはく、「信心歓喜者与諸如来等」といふは、信心よろこぶひとはもろもろの如来とひとしといふなり。もろもろの如来とひとしといふは、信心をえてことによろこぶひとは、釈尊のみことには、「見敬得大慶則我善親友(しんう)」とときたまへり。また弥陀の第十七の願には「十方世界無量諸仏不悉(しつ)恣嗟(ししゃ)称我名者不取正覚」とちかひたまへり。願成就の文には、よろづの仏にほめられよろこびたまふとみえたり。すこしもうたがふべきにあらず。これは如来とひとしといふ文どもをあらはししるすなり。

 (現代語訳)これは経の文です。『華厳経』に「信心歓喜する者はもろもろの如来とひとし」と説かれていますのは、信心を得て喜ぶ人は、もろもろの如来とひとしいということです。もろもろの如来とひとしいことは、『無量寿経』では「見て敬い得て大いに喜ぶならば、その人はわたしの善き親友である」と説かれています。また弥陀の第十七願には「十方世界の無量の諸仏が悉くほめたたえてわたしの名を称えないなら、わたしは悟りを開きません」と誓われています。その願が成就されたことを述べる文には、すべての仏にほめられお喜びになっているとあります。少しも疑うことはありません。これらは、信心を得た人は如来にひとしいと説かれた文を抜き出したものです。


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