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『末燈鈔』を読む(その55) ブログトップ

「いまここにいる」こと [『末燈鈔』を読む(その55)]

(4)「いまここにいる」こと

 いまここに「存在する」ことそのものがいやなら、そこから降りればいいじゃないか、と言われるかもしれません。現に日本では年に3万人もの人が「存在する」ことそのものから降りています。としますと、「いまここにいる」ことも、そのように「はからって」いるのでしょうか。
 「居場所がない」という言い回しに注目しましょう。「いまここにいる」ことがどうにも落ち着かない。「いまここにいていいのだろうか」と思ってしまう。「ここ」というのが、ある特定の場所、たとえば自分の学校や会社でしたら、そこから脱出することができるでしょう。「ここ」に居場所がないなら、「あそこ」に居場所を探せばいいのです。
 さてしかし、別の居場所を探すにも「いまここにいる」ことが必要です。「いまここにいる」ことがなければ、新しい居場所を探すこともできません。しかし、ある特定の「ここ」ではなく、「いまここにいる」ことそのものに居心地の悪さを覚えてしまったら…。
 「いまここにいる」こと自体から降りればいい、のでしょうか。どこかに居場所があるだろうと思って「いまここにいる」のであって、もしどこにも居場所がないとなったら、「いまここにいる」ことそのものを諦めるしかない、と。やはり「いまここにいる」ことも「はからい」ということになるのか。
 でも、しかし、but、何を「はからう」にせよ、そのためには「いまここにいる」ことが必要です。
 「いまここにいる」のをやめようと「はからう」ためにも、「いまここにいる」ことが必要です。としますと、「いまここにいる」ことから降りようとする人も、ある特定の場所から脱出しようと「はからっている」だけで、「いまここにいる」ことそのものは、どう「はからおう」にも「はからえません」。


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