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「いまここにいていいのだろうか」 [『末燈鈔』を読む(その57)]

(6)「いまここにいていいのだろうか」

 戦災や震災を生きのびた人の口からもれることばとしてもっとも哀切なのは「生き残ってしまいました」というものです。あの東日本大震災のあとも、この悲しいことばに接しました。これには「あの人たちがいなくなった世界に生きていたって仕方がない」というやるせなさとともに、「あの人たちが死んで、自分が生き残っていいのだろうか」というもっと切ない響きがあります。
 これはどう考えても理屈に合わない感覚です。「あの人たちが死んで、自分が生き残った」ことに自分が責任を負わなければならないわけではありません。たまたまあの人たちが死んで、たまたま自分は生き残っただけです。にもかかわらず「どうしてあの人たちが死んで、自分は生き残ったのか」という思いがふつふつと湧いてくる。そして「いまここにいていいのだろうか」という負い目を感じる。
 「いまここにいる」ことに、いいも悪いもありません。いいと思うにせよ、悪いと思うにせよ、すでに「いまここにいる」のです。そこからしても「いまここにいていいのだろうか」という思いは理屈に合いませんが、それにもかかわらず、否応なくこの思いが湧き出てくる。これは「いまここにいる」ことが「いいのか、悪いのか」と「はからっている」のではありません。
 それは、居心地の悪さを感じながら、「いまここにいる」ことに気づいたということに他なりません。
 ぼくらは普段「いまここにいる」ことを意識しません(念のためもう一度言います、「ここ」とは特定の場所のことではありません)。居心地の悪さとともにそのことに「気づく」のです。「いまここにいていいのだろうか」という思いとともに、「いまここにいる」ことを意識するのです。


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