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浄信房の手紙の印象 [『末燈鈔』を読む(その73)]

(10)浄信房の手紙の印象

 この手紙を送ってきた浄信房とはどんな人でしょう。下野高田の人とも伝えられますが、『門侶交名牒』にある洛中在住の浄信房(七条次郎入道)だと考えられます(あるいは下野高田から京に移り住んだのかもしれません)。といいますのは、2月12日付けで出された手紙への返信の日付けが2月25日で、その間が13日しかありません。因みに第11通を見ますと、下野高田の覚信房が出した手紙の日付けが4月7日で、それへの親鸞の返書が5月28日の日付けです。下野と京との間の手紙のやり取りにはこれくらいの時間がかかるでしょうから、下野の浄信房とは考えにくい。
 さて、この手紙を読まれて、どんな印象をもたれたでしょうか。
 ちょっと意味の取りにくいところがあります。「このみのために摂取不捨をはじめてたづぬべきにはあらずとおぼへられて候」の「このみのために」とは、どんな心持ちで言われているのか。「わたしとしましては、もう摂取されているのですから、あらためてそのことをお聞きすることはないのかもしれません」というように解釈しておきました。
 もうひとつ、「このほかは凡夫のはからひおばもちゐず候なり」も分かりにくい。「このほかは」とはどういうことでしょう。「すべては如来がはからってくださっているのですから、そのほかに凡夫がはからうことはありません」ということでしょうか。先のところもそうですが、何か「おどおど」しているような印象を受けます。「こんなふうでいいのだろうか」というためらいが、分かりにくい表現になっているのではないでしょうか。
 ここで浄信房が上げている三つの経文(『華厳経』と『無量寿経』から)は、親鸞が真仏房宛の第4通のなかでつかっているのとほぼ重なります(3章-10)。これを浄信房は読んでいるのではないかと憶測させるほどよく似ています。ともあれ浄信房としましては「信心のひとは如来とひとし」と聞きならったことを「恐る恐る」申し述べているといった感じです。まさに「恐々謹言」です。


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