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他力ということ [『末燈鈔』を読む(その98)]

(3)他力ということ

 他力はどうにも座りがよくないと言うか、ストンと胸に落ちてくれないところがあります。それは、ぼくらは自力の世界にどっぷり浸かって生きているからです。
 地面は平であると信じて疑わない人に、地球は球であって、地球の反対側にいる人は逆さまに立っているということがどうにも飲み込めないのとどこか似ています。ぼくは子どもの頃これが不思議で仕方がなかった。
 あるいはこんな話もあります。コロンブスの船の船員たちは、このままどんどん西に進めば(コロンブスは、地球は球体だから、西回りでもインドへ行けると信じたのです)、いつかきっととんでもない大瀑布に近づき、そうなればもう海水とともに奈落に吸い込まれてしまうと怖れたそうです。彼らも地球は平だと思い込んでいたのです。
 世界の中心に「わたし」がいて、「わたし」の周りをすべてが回っていると信じて疑わない人に、「わたし」に先立って「あなた」がいて、「あなた」の周りを「わたし」は回っているというのはどうにも飲み込めません。「わたし」の他に「あなた」がいることはあたり前のことですが(いや、哲学の世界ではそれを否定する議論があります。独我論は「あなた」も「わたし」の表象の中にいるだけと考えます)、しかしそれも「わたし」がいてのことで、「わたし」が「あなた」を認めてはじめて「あなた」は「あなた」として存在することができるのです。
 これが「わたし」中心の自力の世界です。「わたし」がいて「わたし」にとっての「あなた」がいるのですから、「わたし」がいなければ「あなた」はいようがありません。ところが他力の世界では「あなた」がいてはじめて「わたし」がいることができ、「あなた」がいなければ「わたし」はいようがないのです。天動説の世界にどっぷり浸かっている人に、この地動説の世界はどうにも座りが悪いと言わざるをえません。


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