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『末燈鈔』を読む(その109) ブログトップ

第14通 [『末燈鈔』を読む(その109)]

(14)第14通

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 南無阿弥陀仏をとなえてのうへに無碍光仏と申さむはあしき事なりと候なるこそ、きはまれる御ひがごとゝきこえ候へ。帰命は南無なり。無碍光仏は光明なり、智慧なり。この智慧はすなわち阿弥陀仏。阿弥陀仏の御かたちをしらせ給わねば、その御かたちを、たしかにたしかにしらせまいらせんとて、世親菩薩御ちからをつくして、あらわし給へるなり。このほかのことは、せうせうもじをなをしてまいらせ候也。

 (現代語訳)南無阿弥陀仏と称えて、その上に帰命尽十方無碍光仏と称えるのは間違っていると言うことこそ、とんでもなく誤った考えだと思われます。帰命とは南無ということです。無碍光仏とは光明です、智慧です。この智慧がすなわち阿弥陀仏です。阿弥陀仏がどのようなお姿であるかは知らされておりませんから、そのお姿がどのようであるかを何とかしてお知らせしようと、世親菩薩が力を尽くして尽十方無碍光如来とあらわしてくださったのです。それ以外の点につきましては、少々文字を直しておきました。

 この手紙は、下野高田の慶信房から送られてきた手紙への返信ですが、他のものと違った特異な成り立ちです。
 親鸞の返信が独立している訳ではなく、慶信房の手紙のわずかな余白に上の文が書き込まれているのです。そして、その最後のところに書いてありますように、慶信房の文のところどころに手を入れて直してあります。つまり慶信房の手紙に書き加えをした上で、そのまま送り返しているのです。そのようになった経緯を、取次ぎをした蓮位房(親鸞のそば近くに仕えた弟子で、今で言えば秘書のような仕事をしていたと思われます)が別に添状を認めて書いています。それによりますと、親鸞はそのとき病気で臥せっていたようです。


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