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原因・結果のめがね [『末燈鈔』を読む(その134)]

(6)原因・結果のめがね

 相対のめがねは、どう踏ん張っても自分で見ることはできませんが、そのめがねを通して広がる世界にとつぜんパラドクスという亀裂が走ることにより、はじめて「あれ、ぼくらは相対のめがね越しに世界を眺めているのではないか」という気づきが与えられるようです。
 もうひとつ例を上げましょう。
 ゼノンのパラドクスに似たものに、カントのアンチノミーがあります。アンチノミーは二律背反と訳されますが、互いに矛盾する二つの命題がどちらも同程度に成立するという事態を指します。ゼノンの「飛ぶ矢」も、「矢は飛ぶ」という命題と「矢は飛ばない」という命題が同程度に確からしいというように考えますと、これもアンチノミーの一種と見ることができます。
 カントが上げたアンチノミーは四つあるのですが、なかでも重要なのは「すべての現象は原因と結果の連鎖の中にある」という命題と「人間の行為は自由である(原因がない)」という命題の対立です。両者は矛盾しますが、しかしカントに言わせますと、どちらも同程度に成り立ちます。人間の行為といえども自然現象である以上、必ず原因があると言えますし、同時に、人間の行為が自由でなければ、いかなる責任も問えないことになりますから、人間は自由だと言わなければなりません。
 そこでカントは言います、「原因・結果の連鎖というのは、われらが掛けているめがねである」と。
 世界そのものが原因・結果の構造をしているのではなく、われらが原因・結果のめがねを通して世界を見るから、すべてが原因・結果の連鎖であるように見えるのだということです。どうしてそんなことが言えるのかといいますと、原因・結果のめがねを通して見えているごく普通の世界にとつぜんアンチノミーという亀裂が走り、そこではじめて「あれ、ぼくらは原因・結果のめがねを掛けて世界を見ているのではないか」という気づきが与えられるのです。


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