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『末燈鈔』を読む(その157) ブログトップ

第19通第4段 [『末燈鈔』を読む(その157)]

(14)第19通第4段

 第19通の最後の段です。

 としごろ念仏して往生ねがふしるしには、もとあしかりしわがこゝろをもおもひかへして、とも同朋にもねんごろにこゝろのおはしましあはゞこそ、世をいとふしるしにてさふらはめとこそおぼえさふらへ。よくよく御こゝろえさふらふべし。善知識ををろかにおもひ、師をそしるものをば謗法のものとまふすなり。親をそしるものをば五逆のものとまふすなり。同座せざれとさふらふなり。されば北の郡にさぶらひし善乗房は親をのり、善信をやうやうにそしりさふらひしかば、ちかづきむつまじくおもひさふらはで、ちかづけずさふらひき。明法御房の往生のことをきゝながら、あとををろかにせんひとびとはその同朋にあらずさふらふべし。無明の酒にゑひたるひとにいよいよゑひをすゝめ、三毒をひさしくこのみくらふひとにいよいよ毒をゆるしてこのめとまふしあふてさふらふらん、不便のことにさふらふ。無明の酒にゑひたることをかなしみ、三毒をこのみくふて、いまだ毒もうせはてず、無明のゑひもいまださめやらぬにおはしましあふてさふらふぞかし。よくよく御こゝろえさふらふべし。 

 (現代語訳)長年の間念仏して往生を願うからには、もともと善くなかった心を入れ替えて、友や同朋にも睦ましく思う気持ちになればこそ、浄土を願うしるしに相違ないと思われます。よくお心得ください。よき友を疎かにし、師を謗るものを謗法のものと申します。親を謗るものを五逆のものと申すのです。そのようなものとは同座すべきでないと言います。ですから北の郡におりました善乗房は親を罵り、わたし善信を様々に謗りましたので、近づいたり睦まじく思うようなことはなく、また近づけないようにしておりました。明法房が往生なさったことを聞きながら、その跡を疎かにするような人々は同朋ではないと言わなければなりません。無明の酒に酔っている人にさらに酔いを勧め、三毒を長らく好んできた人にさらに毒を好んで飲めと言いあっておられるようで、哀れなことです。無明の酒に酔っていることを悲しみ、三毒を好んで食い、まだ毒も消えやらず無明の酔いもまだ醒めないような状態にいるのだということをよくよくお心得いただきたく思います。


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