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『末燈鈔』を読む(その182) ブログトップ

『親鸞聖人御消息集』第6通 [『末燈鈔』を読む(その182)]

         第13章 世のなか安穏なれ

(1)『親鸞聖人御消息集』第6通

 『末燈鈔』に続いて『親鸞聖人御消息集』を読んでいきます。その最初の手紙です。第6通から始まりますのは、第1通から第5通までは『末燈鈔』と同じだからです。

 なにごとよりは如来の御本願のひろまらせたまひてさふらふこと、かへすがへすめでたく、うれしくさふらふ。そのことに、をのをのところどころに、われはといふことをおもふてあらそふこと、ゆめゆめあるべからずさふらふ。京にも一念多念なんどまふすあらそふことのおほくさふらふやうにあること、さらさらさふらふべからず。たゞ詮ずるところは『唯信鈔』・『後世物語』・『自力他力』、この御文どもをよくよくつねにみて、その御こゝろにたがへずおはしますべし。いづかたのひとびとにも、このこゝろをおほせられさふらふべし。なをおぼつかなきことあらば、今日までいきてさふらへば、わざともこれへたづねたまふべし。また便にもおほせたまふべし。鹿嶋・行方、そのならびのひとびとにも、このこゝろをよくよくおほせらるべし。一念多念のあらそひなんどのやうに、詮なきこと、論じごとをのみまふしあはれてさふらふぞかし。よくよくつゝしむべきことなり。あなかしこあなかしこ。
 かやうのことをこゝろえぬ人々は、そのことゝなきことをまふしあはれてさふらふぞ、よくよくつゝしみたまふべし。かへすがへす。
   二月三日                              親鸞

 (現代語訳)何よりも如来の御本願がひろまっておりますことは、かえすがえす嬉しいことです。それにつけましても、ところどころで自分こそはと思って争いあうようなことがあるようですが、ゆめゆめあってはならないことです。京でも一念多念などという争いが多くあるようですが、そんな争いはさらさらあってはなりません。結局のところは『唯信鈔』・『後世物語』・『自力他力』などをいつもよく読み、その説かれているところに違わないようにすべきです。どちらの人たちにも、このことをお伝えいただきたく思います。それでも覚束ないようなことがありましたら、まだ生きておりますので、わざわざでも私のところに訪ねてきていただきたく思います。またお便りででもお聞きください。鹿嶋・行方、その方面の方々にも、このことをよくよくお伝えください。一念多念の争いのような詮のない論争ばかりされているようですが、よくよく慎むべきです。謹言。
 このようなことを心得ない人々は、つまらないことを言い合っておられるようですが、よくよく慎しむべきです。くれぐれも言っておきます。


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