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このうたへのやうは、御身ひとりのことにはあらずさふらふ [『末燈鈔』を読む(その191)]

(10)このうたへのやうは、御身ひとりのことにはあらずさふらふ

 法然・親鸞などが流罪となった承元の法難(1207年)、そして法然の墓が暴かれ、隆寛・幸西などが流罪となった嘉禄の法難(1227年)をはじめとして、専修念仏は何度も弾圧されてきました。興福寺・延暦寺といった大寺院からの攻撃と、それを受けた朝廷・幕府、さらにはそれにつらなる「領家・地頭・名主」から専修念仏は目の敵とされてきたのです。
 何故でしょうか。それは念仏往生の教えが世の秩序を乱す恐れがあるからです。これを放っておいては、仏法の秩序が乱れるのみならず、貴族・武士を中心とする社会の秩序が乱れると聖俗の権力者たちには思えたからです。念仏往生の教えは「いし・かわら・つぶてのごとくなる」(『唯信鈔文意』)ものどものものです。ここにこの教えの本質があると言っていい。
 このことばは「屠沽の下類(とこのげるい)」を説明しようとする中で出てくるのですが、親鸞はこんなふうに言っています。「屠はよろづのいきたるものをころしほふるものなり。これはれうし(猟師)といふものなり。沽はよろづのものをうりかうものなり、これはあき人なり。これらを下類といふなり」。その上でこう言うのです、「れうし・あき人、さまざまのものは、みな、いし・かわら・つぶてのごとくなるわれらなり」と。
 この「われらなり」ということばで親鸞は自分がどの位置に立っているかを表明しています。
 手紙の中で親鸞が「御身をわらひまふすべきことにはあらず」と言い、「性信房のとがにまふしなされんは、きはまれるひがごと」と述べているのは、「鎌倉にての御うたへ」の本質をよく見なければならないと言っているのです。それは性信房個人を問題にしているのではなく、「すべて浄土の念仏者」を攻撃しているのだということです。


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