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第8通 [『末燈鈔』を読む(その196)]

        第14章 一念にて往生の業因はたれり

(1) 第8通

 教忍房宛ての第8通です。2段に分け、まず第1段。

 護念房のたよりに、教忍御坊より銭二百文、御こゝろざしのもの、たまはりてさふらふ。さきに念仏のすゝめのもの、かたがたの御なかよりとて、たしかにたまはりてさふらひき。ひとびとによろこびまふさせたまふべくさふらふ。この御返事にて、おなじ御こゝろにまふさせたまふべくさふらふ。
 さてはこの御たづねさふらふことは、まことによき御うたがひどもにてさふらふべし。まづ一念にて往生の業因はたれりとまふしさふらふは、まことにさるべきことにてさふらふべし。さればとて、一念のほかに念仏をまふすまじきことにはさふらはず。そのやうは『唯信鈔』にくはしくさふらふ。よくよく御覧さふらふべし。一念のほかにあまるところの念仏は、十方の衆生に回向すべしとさふらふも、さるべきことにてさふらふべし。十方の衆生に回向すればとて、二念・三念せんは往生にあしきことゝおぼしめされさふらはゞ、ひがごとにてさふらふべし。念仏往生の本願とこそおほせられてさふらへば、おほくまふさんも、一念・一称も、往生すべしとこそ、うけたまはりてさふらへ。かならず、一念ばかりにて往生すといひて、多念をせんは往生すまじきとまふすことは、ゆめゆめあるまじきことなり。『唯信鈔』をよくよく御覧さふらふべし。

 (現代語訳)護念房がこちらに来られました機会に、あなたからの銭二百文とお志のものを戴きました。以前には念仏のためのお志をあなた方からということで確かに戴きました。皆様に喜んでいるとお伝えください。この手紙で、わたしの気持ちを宜しくお伝えください。
 さて、この度のお尋ねは、まことによいお疑いだと思います。まず往生の業因としては一念で足りていると言われることは、まことにその通りです。しかしだからと言って、一念以外に念仏してはいけないということではありません。その辺りのことは『唯信鈔』に詳しく書かれていますので、よくよく御覧になってください。一念以上の余った念仏は、十方の衆生に回向すればいいと言われるのも、その通りだと思います。十方の衆生に回向しようと二念・三念するのは往生によろしくないことだと考えるのは間違っております。第十八願は「念仏往生の本願」と言われているのですから、多く念仏しても、たった一度だけ念仏しても、往生できるとお聞きしております。一念だけで必ず往生できるのだから、多く念仏すると往生できないなどと言うことは、ゆめゆめあってはらないことです。『唯信鈔』をよくよく御覧になってください。


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