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念仏をとどめんと [『末燈鈔』を読む(その204)]

(9)念仏をとどめんと

 この手紙は末尾に9月2日の日付けと「念仏人々御中」という宛名があるだけですが、その内容から書かれた年代が推定できます。
 第1段だけでは分かりませんが、先回りして言いますと、この手紙が書かれたのは、東国の念仏者たちにたいして「ところの領家・地頭・名主」たちが「念仏をとどめんと」画策していることをどう考えたらいいか、そしてそれにどう対応すべきかを「念仏人々御中」に教え諭すためです。
 第13章の(9)で述べましたように、建長8年(1256年、親鸞84歳)の5月に善鸞が義絶されています。東国での念仏をめぐる混乱、そして「鎌倉にての御うたへ」の背後にわが子・善鸞がいることに気づいた親鸞はついに義絶という決断をするに至るのですが、ことの真相はなかなか分からなかったようです。この手紙は、そのような時期に混乱のさなかにある東国の念仏者たちに書かれているのは間違いありません。
 そして、この次の第10通は善鸞に宛てて書かれているのですが、その日付けが同じ9月2日で、内容的にこの第9通と共通していますから、同じ日に書かれたものと考えられます。そしてその年は建長7年だろうと思われます。と言いますのは、この善鸞宛ての手紙が義絶以後に書かれることはありえませんし、また伝わってくる緊迫感からして、それより2年も3年も前ということも考えにくいからです。
 さて、これまた先回りになりますが、親鸞は「ところの領家・地頭・名主」が念仏を停止する根拠としているものが二つあると見ています。冒頭に「まづ」とあり(第1段)、そして後半に「つぎに」とある(第3段)、その二つです。前者は念仏者が「よろづの仏・菩薩をかろしめまいらせ、よろづの神祇・冥道をあなづりすてたてまつる」ことであり、後者は「わるきものゝためなりとて、ことさらにひがごとをこゝろにもおもひ、身にも口にもまふす」こと、いわゆる「本願ぼこり」です。


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