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『末燈鈔』を読む(その236) ブログトップ

第13通 [『末燈鈔』を読む(その236)]

(11)第13通

 性信房宛て、第13通です。

 くだらせたまひてのち、なにごとかさふらふらん。この源籐四郎殿におもはざるにあひまいらせてさふらふ、便のうれしさにまふしさふらふ。そのゝちなにごとかさふらふ。
 念仏のうたへのこと、しづまりてさふらふよし、かたがたよりうけたまはりさふらへば、うれしふこそさふらへ。いまはよくよく念仏もひろまりさふらはんずらんとよろこびいりてさふらふ。
これにつけても、御身の料はいまさだまらせたまひたり。念仏を御こゝろにいれてつねにまふして、念仏そしらんひとびと、この世、のちの世までのことを、いのりあはせたまふべくさふらふ。御身どもの料は、御念仏はいまはなにかはせさせたまふべき。たゞひがふたる世のひとびとをいのり、弥陀の御ちかひにいれとおぼしめしあはゞ、仏の御恩を報じまいらせたまふになりさふらふべし。よくよく御こゝろにいれてまふしあはせたまふべくさふらふ。聖人の廿五日の御念仏も、詮ずるところは、かやうの邪見のものをたすけん料にこそ、まふしあはせたまへとまふすことにてさふらへば、よくよく念仏そしらんひとをたすかれとおぼしめして、念仏しあはせたまふべくさふらふ。
 またなにごとも度々便にはまふしさふらひき。源籐四郎殿の便にうれしふてまふしさふらふ。あなかしこあなかしこ。
 入西御坊のかたへもまふしたふさふらへども、おなじことなれば、このやうをつたえたまふべくさふらふ。あなかしこあなかしこ。

(現代語訳)そちらへお帰りになってから、お変わりありませんか。源籐四郎殿に思いがけずお会いすることができ、その幸便の嬉しさにお手紙を差し上げます(関東へ行く源藤四郎殿に手紙を託したということでしょう)。その後変わったことはありましたか。
 念仏に対する訴訟が静まった由、方々からお聞きしております。嬉しいことです。これから念仏もいよいよ広まることだろうと喜んでおります。
 それにしましても、あなたの信心はもはや定まったと言えます。念仏を心からいつも称えられ、念仏を謗る人たちの、この世のこと、後の世のことまでお祈りされるとよいでしょう。あなた自身のために念仏を称える必要はもはやありません。ただ間違った思いをもっている人々のために祈り、弥陀のお誓いに入られますようにと願われたら、仏のご恩に報いることになると思います。そこをよくよく心に入れて念仏されることです。法然上人の命日の念仏も、結局のところ、このような誤った考えをしているものを助けるために申しているのですから、よくよく念仏を謗る人が助かりますようにと思って念仏されるとよろしい。  
 これまで度々手紙で申したことです。源籐四郎殿の幸便の嬉しさにお手紙しました。謹言。
 入西御坊へも手紙を書きたいのですが、同じことですので、ここに書きましたことをお伝えください。謹言。


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