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『末燈鈔』を読む(その241) ブログトップ

第17通 [『末燈鈔』を読む(その241)]

         第17章 詮ずるところは、無碍光仏とまふし

(1)第17通

 『御消息集』第14通から第16通は『末燈鈔』と重なり(その第11,15,17通)、次は第17通となります。

 ひとびとのおほせられてさふらふ十二光仏の御ことのやう、かきしるしてくだしまいらせさふらふ。くわしくかきまいらせさふらふべきやうもさふらはず。おろおろかきしるしてさふらふ。
 詮ずるところは、無碍光仏とまふしまいらせさふらふことを本とせさせたまふべくさふらふ。無碍光仏は、よろずのものゝあさましきわるきことにさはりなくたすけさせたまはん料に、無碍光仏とまふすとしらせたまふべくさふらふ。あなかしこあなかしこ。
 十月廿一日                               親鸞
 唯信御坊 御返事

 (現代語訳)人々が言っておられる十二光仏のことについて書きしるしてお送りします。詳しく書くこともないでしょうから、およそのところを書きました。
 結局のところ、無碍光仏という名を基本とされるべきでしょう。無碍光仏とは、どのようにあさましく悪いことをしても、それが何のさわりとなることもなく、救ってくださるので、そのように申すのだとお心得ください。謹言。

 この手紙は、親鸞が「十二光仏の御ことのやう、かきしるしてくだしまいらせ」た文章に添えて付けられたもののようです。その文章とは『弥陀如来名号徳』のことだろうと推測されていますが、その古写本を見ますと、一部脱落があるものの、十二光仏のそれぞれについて解説し、さらに十字名号「帰命尽十方無碍光如来」や八字名号「南無不可思議光仏」の由来を説いています。
 手紙の宛先の唯信坊という名の弟子・孫弟子は何人かいて、その誰を指しているのかは不明です。


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