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『末燈鈔』を読む(その246) ブログトップ

第18通 [『末燈鈔』を読む(その246)]

(6)第18通

 『親鸞聖人御消息集』最後の第18通です。2段に分け、まず第1段。

 諸仏称名の願とまふし、諸仏咨嗟(ししゃ)の願とまふしさふらふなるは、十方衆生をすゝめんためときこえたり。また十方衆生の疑心をとゞめん料ときこえてさふらふ。『弥陀経』の十方諸仏の証誠(しょうじょう)のやうにてきこえたり。詮ずるところは、方便の御誓願と信じまいらせさふらふ。
 念仏往生の願は如来の往相回向の正業正因なりとみえてさふらふ。まことの信心あるひとは等正覚の弥勒とひとしければ、如来とひとしとも諸仏のほめさせたまひたりとこそきこえてさふらふ。

 (現代語訳)諸仏称名の願といい、諸仏咨嗟の願とよばれています第17願は、十方世界の衆生に念仏をすすめるための願だと理解しております。また十方世界の衆生の疑いの心をなくすための願と理解しております。『阿弥陀経』で十方世界の諸仏が念仏の正しさを証明していると説かれているのと同じことです。結局のところ、わたしたちを念仏の道へと導くための手立ての願と信じております。
 念仏往生の願、つまり第18願は、如来がわれらを浄土へ往生させてくださるための正しい業因です。これにより真実の信心をえた人は等正覚の位にある弥勒と等しいのですから、如来と等しいと諸仏がほめられているのです。

 この手紙は慶西房(きょうさいぼう)に宛てられています。この名の弟子・孫弟子も複数存在し、特定できません。この第1段では、第17願の意味が明らかにされ、また第18願との関係、さらには「如来とひとし」ということにも触れています。


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