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『古写消息』第6通 [『末燈鈔』を読む(その274)]

          第20章 今は父子のぎはあるべからずさふろう

(1)『古写消息』第6通

 最後の消息集になりましたが、『古写消息』として6通の手紙が残されています。そこから第6通の慈信房宛ての手紙だけ選び、あとは勝手ながら割愛させていただきたいと思います。と言いますのは、それらの手紙に出てくる人たち(「いやおむな」、「かくねむぼう」、「いまごぜんのはゝ」など)は親鸞に縁故ある人には違いないものの、どういう人かよく分からず、そして何より手紙の内容が親鸞の浄土思想と関連がないからです(史家にとっては大事な資料かもしれませんが)。
 さて、第6通ですが、これまで何度も言及してきました慈信房に対する義絶状です。3段に分け、まず第1段。

 おほせられたる事くはしくきゝてさふろう。なによりは、あいみんばうとかやとまふすなる人の、京よりふみをえたるとかやとまふされさふらうなる、返々ふしぎにさふろう。いまだかたちおもみず、ふみ一度もたまはりさふらず、これよりもまふすこともなきに、京よりふみをえたるとまふすなる、あさましきことなり。
 又、慈信房のほうもんのやう、みやうもくをだにもきかず、しらぬことを、慈信一人に、よる親鸞がおしえたるなりと、人に慈信房まふされてさふろうとて、これにも常陸・下野の人々は、みなしむらむが、そらごとをまふしたるよしをまふしあはれてさふらえば、今は父子のぎはあるべからずさふろう。

 (現代語訳)あなたが言われることを詳しく聞きました。まずなによりも、あいみん房とかいう人が、わたしから手紙をもらったと言われているそうですが、不思議で仕方がありません。いまだお会いしたこともなく、手紙も一度もいただいたことも、こちらから出したこともないのに、わたしから手紙をもらったと言われているのは、何とも呆れてしまいます。
 又あなたが人々に説いている法文のことですが、わたしとしてはその名すら聞いたことがなく、中身も知りませんのに、あなた一人に夜密かにわたしが教えたというように言っているものですから、常陸・下野の人々はみな親鸞が偽りを申していると言い合っています。このような次第では、もはや父子の縁は切れたと言わざるを得ません。


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