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「おまえは人間のクズである」 [『末燈鈔』を読む(その276)]

(3)「おまえは人間のクズである」

 慈信房がとんでもない「そらごと」を言い、東国の念仏者たちに取り返しのつかない禍をもたらすことになった元は「名利」ではないでしょうか。親鸞の息子としてみんなから尊敬を受けたい、「さすがに親鸞の息子だ」と評価されたいという切ない願い、これが思いもかけない災難をもたらすことになった。親鸞はそのことがよく分かっていたのではないかと思われます。
 と言いますのは、この義絶状には慈信房の言った「そらごと」がこれでもかと上げられていますが、そしてそれに対して「あさまし」「こころうき」「うたてき」「かなしき」と嘆きが書きつけられていますが、しかし道徳的非難の色あいがさほど感じられないのです。裁判官が読み上げる判決には、被告人の罪状だけでなく、それに対する厳しい非難が含まれていて、「あなたは何さまですか」と言いたくなるようなことがよくありますが、この手紙にはそのようなことをあまり感じないのです。
 「おまえは人間のクズである」、こういった類の罵詈雑言を聞くことがありますが、おそらく親鸞にはこうした言葉はつかえないだろうと思います。言わないのではありません、言えないと思うのです。なぜかといえば、彼の中に「かなしきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して、…はづべしいたむべし」という思い、自分自身を「クズ」と思わざるをえない感性があるからです。
 「おまえはクズである」ということばは、自分はクズではないと思っている人にしかつかえません。しかしここで大急ぎで言っておかなければならないのは、「自分はクズだ」と思っているからと言って、世の悪について何も言えないわけではないということです。いやむしろ、自分はクズだと思っているから、世の悪に対して「あさまし」「こころうき」「うたてき」と言えるのではないでしょうか。


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