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こゝろもおよばぬほどのそらごと [『末燈鈔』を読む(その278)]

(5)こゝろもおよばぬほどのそらごと

 性信房宛の義絶通告状(『血脈文集』第2通)の中で「出世のみにあらず、世間のことにをきても、をそろしきまうしごとどもかずかぎりなくさふらふなり」とありましたが、それがここで言われていることでしょうか。
 それにしても、この文面はどう理解していいか分からないことが多すぎます。父と子の私信ですから、第三者、しかも800年も後のわれらに理解できないのは当たり前といえば当たり前ですが…。
 まず「みぶの女房」とは誰のことなのか、慈信房から来た手紙を親鸞のもとへもってきたというのですから、京都の壬生の女性ということでしょうか。慈信房から手紙をもらう間柄ですから、かなり近しい関係だと思われますが、それ以上のことは何も分かりません。
 そして慈信房からの手紙というのもその内容がよく分からない。「母のあま」について「ふしぎのそらごと」を言っているとありますが、どんな「そらごと」でしょうか。
 「そのふみつやつやいろはぬことゆえに、まゝはゝにいゐまどわされたるとかゝれたる」の部分をどう読み解くべきかが鍵になりそうですが、「いろはぬ」とはこの場合どういう意味か。「いろふ」とは「手に取る」が原義だそうで、そこから「関係する」、「取り扱う」、「争う」、「もてあぞぶ」などの意味になるのですが、ここは「全く関わりのないことで、継母に言い惑わされた」と訳しておきました。
 この「まゝはゝ」とはまたどういうことでしょう。親鸞の妻については、九条兼実の娘・玉日姫(たまひひめ)とする伝説がありましたが、『恵信尼文書』が出てきて、三善為則の娘・恵信尼が妻であることが明らかになりました。最近また玉日姫を妻とする説が注目されるようになりましたが、通説に従えば慈信房の母親は恵信尼ということになります。
 その母を「まゝはゝ」と呼び、「いゐまどわされた」と言っているというのですが、このあたりはもう霧の中にかすんで実相はほとんど見えません。それにしても、そんな身内についての「そらごと」を「六波羅のへむ、かまくらなむどに、ひろう」しているというのは尋常ではありません。


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