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『正信偈』を読む(その2) ブログトップ

「正信偈」とは何か? [『正信偈』を読む(その2)]

(2)「正信偈」とは何か?

 さて「正信偈」は正式には「正信念仏偈」と言います。「正しい信心と念仏についての詩(うた)」ということです。
 『教行信証』「行巻」には、前置きとしてこうあります。

 「しかれば大聖(釈迦)の真言に帰し、大祖(七高僧)の解釈(げしゃく)を閲(えつ)して、仏恩の深遠なるをしりて正信念仏偈をつくりていはく」。

 「しかれば」とは、直前に引用した曇鸞の『論註』に「恩をしり徳を報ず」とあるのを受けています。弥陀の本願に遇うことを得たのも釈迦や高僧たちのお蔭であり、その恩にどれほど感謝してもし尽くせるものではないということです。
 これは『教行信証』「序」に「あひがたくしていまあふことをえたり。ききがたくしてすでにきくことをえたり。真宗の教行証を敬信して、ことに如来の恩徳のふかきことをしんぬ。ここをもてきくところをよろこび、うるところを嘆ずるなり」とあったのと軌を一にしています。
 このように見ますと「正信偈」は『教行信証』全体のエッセンスを詩としてまとめたものと言えましょう。
 7言の詩句が全部で60行120句連ねられています。古来、前半の「依経段(えきょうだん)」(44句)と後半の「依釈段(えしゃくだん)」(76句)に分けられます。「経典に依る」部分と「注釈に依る」部分ということで、「大聖の真言に帰し」が「依経段」、「大祖の解釈を閲して」が「依釈段」となるわけです。
 そして「依経段」の冒頭に「帰敬偈(ききょうげ、仏典や論釈の冒頭におかれることばをそうよびます)」と呼ばれる二句があります。それが先に上げました「帰命無量寿如来 南無不可思議光」です。


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