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南無阿弥陀仏 [『正信偈』を読む(その3)]

(3)南無阿弥陀仏 

 帰敬偈の「帰命無量寿如来」も「南無不可思議光」も7言にそろえているのでありまして、要するに「南無阿弥陀仏」ということです。法然の『選択本願念仏集』もその冒頭に南無阿弥陀仏を掲げていますが、この六文字に浄土の教えのすべてが詰まっていると言えます。
 『教行信証』「教巻」に「如来の本願をとくを経の宗致(しゅうち)とす。すなはち仏の名号をもて経の体とするなり」とありますように、南無阿弥陀仏が『無量寿経』の本体だということです。南無阿弥陀仏の6文字に『無量寿経』のすべてが収まっているということです。
 さてここで、ひとつ奇妙と思われるかもしれない疑問を呈したいと思います。名号とは文字通りには阿弥陀仏の名前ということですから「阿弥陀仏」あるいは「無量寿仏」、もしくは「無量光仏」でいいと思われませんか。ところが名号といえば「南無阿弥陀仏」とされる。これはどうしてでしょう。
 『無量寿経』を読みますと、繰り返し「名号を聞きて」という言い回しが出てきます。一番有名なものとしては本願成就文の「聞其名号(もんごみょうごう)、信心歓喜」で、「その名号を聞きて、信心歓喜せん」とあります。これは言うまでもなく「阿弥陀仏の名を聞いて、信心歓喜し」ということですから、名号とは「阿弥陀仏」でいいはずです。
 どうして「南無阿弥陀仏」なのか。
 「南無」の意味を確認しておきましょう。「南無」とはサンスクリット(梵語)の“namo”の音写です。“namo”は“namas”の語尾が変化したもので、「うやまう」というくらいの意味です。


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