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「おかえり」 [『正信偈』を読む(その8)]

(8)「おかえり」

 ぼくは今皆さんに「正信偈」について語っているのですが、これも、ぼくが語りかけるに先立って、誰かから「もしもし」と呼びかけられており、それに「はい」と応えて語っているのです。何かを語るたびに「はい、わたしが語っています」とは言いませんが、でも実はそれが隠れている。
 ぼくは家の近くをよく散歩するのですが、同じように散歩する人(多分近所の人でしょうが、どなたか知らない人)とすれ違うとき、「こんにちは」と声をかけるときと、無言のときがあります。どんなときに声をかけ、どんなときにかけないかと考えてみますに、「こんにちは」と口から出るときは、それに先立ってその人から「こんにちは」の声が聞こえているのではないでしょうか。その人が実際に言っているのではありません、こちらから声をかけているのですが、でも何となくその人が言っているように思える。だからそれに応えるように「こんにちは」と言うのではないでしょうか。
 これは前にも言ったことで、またかと思われる方もおられるでしょうが、もう一度言わせてください。「ただいま」と「おかえり」です。
 子どもが元気よく「ただいま」と言って帰ってきます。お母さんが「おかえり」と応える。幸せな家庭の光景です。「ただいま」は「ただいま帰りました」で、「おかえり」は「お早うお帰りになりました」ですから、「ただいま」が先で「おかえり」は後が普通ですが、よく考えてみると、子どもが「ただいま」と言うのは、それに先立って遠くから「おかえり」が聞こえているからではないでしょうか。もちろん実際にお母さんが「おかえり」と言っているのではありませんが、子どもにはそれが聞こえる。だから「ただいま」と元気に帰れるのです。それが聞こえない子どもは哀れです。帰る家がありません。


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