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慈父と悲母 [『正信偈』を読む(その23)]

(3)慈父と悲母

 『教行信証』行巻に「両重因縁(りょうじゅういんねん)」とよばれる箇所があります。
 「まことにしんぬ、徳号の慈父(とくごうのじふ)ましまさずば、能生の因(のうしょうのいん)かけなん。光明の悲母(こうみょうのひも)ましまさずば、所生の縁(しょしょうのえん)そむきなん」とあり、名号が慈父、光明が悲母とされます。そして名号が往生の因、光明はその縁だと。父と母がそろって子が生まれるように、名号と光明がそろって往生が得られます。因と縁がそろって果が得られるように、名号と光明がそろってはじめて救いにあずかれる。
 今は亡き父と母を思い出します。大学に入って間もなくのことです。大学生活に生きる張り合いを見いだせず、東京は江東区の「アリの街」というバタ屋部落(アリの街のマリアと呼ばれた女性を中心に営まれたクズ拾いの共同体)を自転車で目指したことがあります。そこに行けば何か生きる意味といったものが見つかるのじゃないかと無鉄砲な冒険を試みたのです。
 今改めて思い出すのは父母のことです。書置きをもとに、父は見知らぬ街、東京を歩き回り、ついにぼくのいる「アリの街」を捜し出したのです。
 何はともあれ一度家に帰れと諭され、新幹線で京都まで戻ったものの、どうしてもそのまま家に帰る気になれなくて、父を駅に残したまま学生街をさまよっていました。父はなかなか戻らないぼくに「またどこかに行ってしまったのではないか」と気が気でなかったと母にこぼしたそうです。
 家で待っていた母は、帰ってきたぼくの顔を見るなり「苦労したなあ」と声をかけてくれました。ぼくはその思いもかけないことばに「何と親不孝なことをしたんだろう」と腹の底から悔やみました。


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