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摂取の心光、つねに照護したもう [『正信偈』を読む(その49)]

           第7章 貪愛瞋憎の雲霧

(1)摂取の心光、常に照護したもう
               7
  摂取心光常照護(せっしゅしんこうじょうしょうご) 摂取の心光、常に照護したもう。
  已能雖破無明闇(いのうすいはむみょうあん) 已(すで)に能く無明の闇を破すと雖も、
  貪愛瞋憎之雲霧(とんないしんぞうしうんむ) 貪愛瞋憎の雲霧、
  常覆真実信心天(じょうふしんじつしんじんてん) 常に真実信心の天に覆えり。
  譬如日光覆雲霧(ひにょにっこうふうんむ) 譬えば日光の雲霧に覆わるれども、
  雲霧之下明無闇(うんむしげみょうむあん) 雲霧の下、明らかにして闇無きがごとし。
  獲信見敬大慶喜(ぎゃくしんけんきょうだいきょうき) 信を獲て、見て敬い、大いに慶喜すれば、
  即横超截五悪趣(そくおうちょうぜつごあくしゅ) 即ち横に五悪趣を超截す。

 (現代語訳)「弥陀の心光は、常にわれらを照らし護っていてくださいます。その光に気づかせていただき、われらのこころの闇は晴れましたが、だからと言って、貪りや愛欲、怒りや憎しみから遁れたわけではありません。いつも煩悩の雲や霧がかかり、真実の信心の空を覆っています。それはちょうど日の光が雲や霧に覆われても、その下は明るく闇がないようなものです。本願に遇うことができ、大いなる喜びに包まれれば、そのとき横さまに五つの迷いの世界(地獄・餓鬼・畜生・人・天)を超えることができるのです。」


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