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空には雲や霧が [『正信偈』を読む(その50)]

(2)空には雲や霧が
 
 「このまま生きていていいのだろうか」と心が塞いでいるのが「闇」です。それに対して「そのまま生きていていい」と聞かせていただき、こころに喜びが溢れるのが「明」。この明暗のコントラストはいいとして、問題なのは「明るくなった」とは言っても空には雲や霧がかかっているということです。日の光が直接ギラギラ輝いているのではなく、雲や霧を通して明るいということです。
 雲や霧というのが、貪りや愛欲、怒りや憎しみなどの煩悩であるということ、ここには何度も立ち返ってよくよく考えてみなければなりません。
 救いには「貪りや愛欲、怒りや憎しみから解放された救い」と、「貪りや愛欲、怒りや憎しみとともにある救い」があるということ。前者はすっきりしています。突きぬけたような青空とでも言うべきしょうか。それに対して後者は雲や霧の垂れ込めた曇天です。われらに与えられるのは後者の救いであるということがこの段の主題です。突き抜けた青空でなければほんとうの空とは言えない、という考えもあるでしょう。貪りや愛欲、怒りや憎しみに悩まされていて、どうして救われていると言えるのかと。
 具体的な事例で考えてみましょう。
 ぼくの所属している読書会にはいわゆるスピリチュアル系の人がいます。当然、彼の選ぶ本はその手のものになるわけで、これまで何冊か読みました。中には,2,3ページでもう先を読む気がしなくなったのもありましたが、今度彼が選んできたのは『ゆるすということ』という本で、ジェラルド・G・ジャンポルスキーという人が書いたものです。ぼくとしては、スピリチュアルのどこに問題があるのだろうという意識を持ってこの本を読みました。


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