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難の中の難、これに過ぎたるはなし [『正信偈』を読む(その61)]

(6)難の中の難、これに過ぎたるはなし
 
 「自力は難行で、他力は易行」という常識について考えてきました。この常識は「自力は自分ですること、他力は誰かにしてもらうこと」という、これまた一見当たり前の前提に立っています。でも、よくよく考えてみますと、誰かにしてもらうことのほとんどが実は自力であり、ほんとうの他力は無償の贈与であること、そして「なむあみだぶつ」こそ正真正銘の無償の贈りものであることを見てきました。
 ここまできまして「信楽受持すること」は「難の中の難、これに過ぎたるはなし」と言われる理由がはっきりしてきます。
 ただ単に「誰かから贈られること」でしたら、自分で手に入れることに比べると、どんなにか易しいでしょう。でも「ほんとうに無償で贈られること」となりますと、もう「難の中の難、これに過ぎたるはなし」と言わなければなりません。なぜなら「ほんとうに無償で贈られる」というのは、これまで見てきましたように「思いがけず贈られる」ことですから、これはもうこちらでどうしようもありません。
 これは、普通の意味の「難しい、易しい」を超えた別格の難しさです。
 普通の「難しい、易しい」は、こちらから何かをするとき、つまり自力に当てはまるものさしです。こちらから何かをしようとしますと、とんでもなく難しいことから、あっけないほど易しいことまでさまざまでしょう。でも、向こうから「思いがけず贈られる」ことは、こちらでは何ともならないという意味で「難の中の難、これに過ぎたるはなし」です。しかし、思いがけず贈られてしまえば、こちらは何もしていないのですから、その意味では「易の中の易、これに過ぎたるはなし」でしょう。とにかく、思いがけず贈られることは、もう普通の「難しい、易しい」を超えているのは間違いありません。
 

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