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三不三信の誨 [『正信偈』を読む(その118)]

           第17章 道綽―一生悪を造れども

(1)三不三信の誨(おしえ)
            17
 三不三信誨慇懃(さんぷさんしんけおんごん)  三不三信の誨(おしえ)、慇懃にして、
 像末法滅同悲引(ぞうまつほうめつどうひいん)  像末・法滅、同じく悲引す。
 一生造悪値弘誓(いっしょうぞうあくちぐぜい) 一生悪を造れども、弘誓に値(もうあ)いぬれば、
 至安養界証妙果(しあんにょうかいしょうみょうか) 安養界に至りて、妙果を証せしむと。

 (現代語訳) 道綽禅師は、三不三信の教えをねんごろにしてくださり、像法・末法・法滅の衆生を同じように導いてくださいます。また、われらは一生涯悪をつくり続けても、本願に遇うことができさえすれば、浄土に往生して仏の悟りを得ることができると教えてくださるのです。

 「三不三信の誨」と言いますのは、曇鸞が『論註』で説いているもので、道綽はそれを『安楽集』に引いているのです。曇鸞はこんなふうに言っています。名号は「能く衆生の一切の無明を破し、能く衆生の一切の志願を満てたまふ」のだが、「称名憶念することあれども、しかも無明なを存してしかも所願をみてざる」ことがあるのはどうしてか。それは信心のありように問題があるからだと言うのです。そしてこう言います、「一には信心淳(あつ)からず、存せるがごとし亡せるがごときのゆへに。二には信心一ならず、決定なきがゆへに。三には信心相続せず、余念へたつるがゆへに」と。


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