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源信という人 [『正信偈』を読む(その140)]

            第20章 源信-広く一代の教を開きて

(1)源信という人
             20
 源信広開一代教(げんしんこうかいいちだいきょう)  源信、広く一代の教を開きて、
 偏帰安養勧一切(へんきあんようかんいっさい)  偏(ひとへ)に安養に帰して、一切を勧む。
 専雑執心判浅深(せんぞうしゅうしんはんせんじん)  専雑の執心、浅深を判じて、
 報化二土正弁立(ほうけにどしょうべんりゅう) 報化二土、正しく弁立せり。
 
 (現代語訳) 源信和尚は、釈迦一代の教えを広く学び、ひとえに浄土の教えに帰すべしと一切衆生に勧められました。『念仏のみ』の専修(せんじゅ)と『念仏も』の雑修(ざっしゅ)との違いを明確にして、専修によりはじめて真の浄土である報土へ往生でき、雑修では仮の浄土すなわち化土にとどまることを教えてくださいました。

 さて七高僧も、インド・中国の五人が終わり、いよいよわが日本の源信と法然の二人を残すだけとなりました。まずは源信ですが、平安中期、藤原摂関政治全盛時代の人です(942~1017)。ぼくの郷里の奈良県、当麻寺で有名な当麻郷に生まれ、比叡山延暦寺で修行しました。横川(よかわ)の恵心僧都とも呼ばれます。
 当時すでに浄土の教えは広く行き渡り、阿弥陀仏を信じて極楽浄土に往生したいと願う人たちは多くいました。南無阿弥陀仏を称えながら各地を行脚したという空也は源信とほぼ同時代の人ですし、源信が学んだ比叡山延暦寺でも念仏行は修行の一環として組み込まれていました。ですから源信がわが国の浄土教をはじめたのでは決してないのですが、源信が日本浄土教の歴史の中でとりわけ重要な位置を占めるのは彼の著した『往生要集』によってです。
 

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