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法然と親鸞 [『正信偈』を読む(その155)]

(2)法然と親鸞

 親鸞はその頃のことを振り返ってしみじみと述懐しています。それが『教行信証』の末尾にある次の文です。
 「としをわたり日をわたりて、その(法然の)教誨(きょうかい、教え)をかうぶるひと千万なりといへども、親といひ疎といひ、この(『選択本願念仏集』の)見写をうるともがら、はなはだもてかたし。しかるに製作を書写し、真影を図画せり(法然上人の御姿を図に描かせていただいた)。これ専念正業の徳なり。これ決定往生の徴(しるし)なり。よりて悲喜のなみだをおさへて、由来の縁をしるす。よろこばしきかな、心を弘誓の仏地にたて、念を難思の法海にながす。ふかく如来の矜哀(こうあい)をしりて、まことに師教の恩厚をあふぐ。慶喜いよいよいたり、至孝いよいよおもし」。
 ところが、『教行信証』を読んで不思議だなあと思うのは、親鸞は法然のことばをほとんど引いていないことです。七高僧のなかでは、善導と曇鸞の引用が圧倒的に多く、その他の人たちが続くのですが、法然は一番少なく、たった一箇所です。
 「選択本願念仏集源空の集にいはく、南無阿弥陀仏往生の業には念仏を先とす。
 またいはく、それすみやかに生死をはなれんとおもはば、二種の勝法のなかに、しばらく聖道門をさしおきて、えらんで浄土門に入れ。浄土門に入らんとおもはば、正雑二行(しょうぞうにぎょう)の中に、しばらくもろもろの雑行をなげすてて、えらんでまさに正行に帰すべし。正行を修せんとおもはば、正助二業(しょうじょにごう)の中に、なほ助業をかたはらにして、えらんでまさに正定を専らにすべし。正定の業とはすなはちこれ仏名を称するなり。み名を称すれば、必ず生ずることを得。仏の本願によるがゆへに」(行巻)。
 『選択集』冒頭の一文と、有名な「三選の文」、これだけです。


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