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『正信偈』を読む(その166) ブログトップ

道俗時衆ともに同心に [『正信偈』を読む(その166)]

(6)道俗時衆ともに同心に
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 弘経大士宗師等(ぐきょうだいじしゅうしとう)  弘経の大士・宗師等、
 拯済無辺極濁悪(じょうさいむへんごくじょくあく) 無辺の極濁悪を拯済したもう。
 道俗時衆共同心(どうぞくじしゅぐどうしん)  道俗時衆ともに同心に、
 唯可信斯高僧説(ゆいかしんしこうそうせつ)  唯(ただ)、この高僧の説を信ずべし。

 (現代語訳) これまで名前をあげてきました七人の高僧方は、数限りない濁りと悪に満ちたものたちを救いとってくださいました。みなさん、僧も俗も心をひとつにして、ただこの高僧たちの言われることを信じてまいりましょう。

 いよいよ「結びのことば」です。
 これまでも繰り返し「南無阿弥陀仏」がリレーされてきたと述べてきました。「生かしめんかな」の声が弥陀から釈迦へ、釈迦から龍樹へ、龍樹から天親へ、天親から曇鸞へ、曇鸞から道綽へ、道綽から善導へ、善導から源信へ、源信から法然へ、そして法然から親鸞へとリレーされてきて、それがぼくのもとへ届けられたのです。
 しかし、ここに名前が出ているのは歴史に名前を留めた人たちだけであって、リレーに参加しているのはこの人たちだけでないのは言うまでもありません。名もない無数の衆生が「南無阿弥陀仏」を受け継いできたのです。一本の線ではなく、縦横無尽に無数のリレーが展開されてきたのです。
 

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