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コペルニクス的転回 [『唯信鈔文意』を読む(その27)]

(13)コペルニクス的転回

 すぐ分かりますように、帰納法は新しい知識を与えてくれる反面、確実性に欠けます。あくまで「これまでの経験から言えるのは」ということですから、これまでにないことが起こりますと、あっけなくひっくり返ってしまいます。もし、一人でも死なない人間が現れますと(そんなことは起こりそうにありませんが)、「人間は死ぬ」という結論はその時点で成り立たなくなります。
 さて「あらゆる現象には原因がある」ということも、ヒュームからしますと、経験から帰納して得られた知識です。それ以外に新しい知識を得る方法はないのですから。ということは「あらゆる現象には原因がある」という因果律も、「これまでの経験から言えるのは」という但し書きつきですから、ある日、原因のない出来事が起こったら、その時点で無効になってしまいます。
 このヒュームの議論に目を覚まされたカントは、独自の観点からこの問題を徹底的に考え抜き、まったく新しい立場に立ちました。
 先ほど「原因のない出来事が起こったら云々」と言いましたが、ここには何か「おかしさ」があると感じないでしょうか。ぼくらは「原因のない出来事」という発想自体に耐えられないのではないか。「原因が分からない」ということはあっても「原因がない」などということはありえない、いや、あってはならないと思う。この「あってはならない」という思いに秘密が隠されているとカントは考えました。
 こういうことです。「あらゆる現象には原因がある」というのは、ぼくらが経験から学びとったのではなく、逆に、それを使うことによってぼくらの経験が成り立っているのだと。どんな出来事にも原因があるという前提をもって世界を見ているのです。だから「原因がない」などということはありえないし、あってはならない。この発想の転換をコペルニクス的転回とよびます。


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