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『唯信鈔文意』を読む(その50) ブログトップ

帰るということ(さらにつづく) [『唯信鈔文意』を読む(その50)]

(5)帰るということ(さらにつづく)

 善導はこんな印象的なたとえ話を聞かせてくれます。
 うしろから盗賊や猛獣に追いかけられ、必死の思いで西に逃げる旅人の前に、北にも南にも果ての見えない水と火の河が立ちはだかります。とそのとき、進退きわまった旅人の目に狭い道が河の中に浮かび上がるのです。しかしその白道は両側から大きな波と火に洗われ、とても渡れそうにありません。
 旅人は思います、「われいまかへるともまた死せん、住すともまた死せん、ゆくともまた死せん」と。そのときです、東の岸から声がします、「きみただ決定(けつじょう)してこの道をたづねてゆけ」と。また西の岸から声があります、「なんぢ一心正念にしてただちにきたれ、われよくなんぢをまもらん」と。
 この東岸の釈迦の声と西岸の弥陀の声は「帰っておいで」という呼びかけです。「帰りたい」という旅人のすがるような思いに、すかさず「帰っておいで」の声がした。これが本願に遇うということです。白道の先にほんとうに帰る家があるかどうかは分かりません。でも「帰っておいで」の声に遇うことができただけで、もう家に帰ったにひとしいではありませんか。
 まだ家に帰ったわけではありませんが、もう家にいるような安心があります。だからこそ、これからまた旅を続けていくことができるのです。白道に踏み出したときに旅が終るわけではありません、まだこれから長い旅路がまっているのです。そこにはまたさまざまな苦難があることでしょう。でも、もう家にいるように安気です。
 ここから大事なことが出てきます。


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