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『唯信鈔文意』を読む(その52) ブログトップ

本文6 [『唯信鈔文意』を読む(その52)]

(7)本文6

 迎といふはむかへたまふといふ。まつといふこころなり。選択不思議の本願・無上智慧の尊号をききて、一念もうたがふこころなきを真実信心といふなり。金剛心ともなづく。この信楽をうるときかならず摂取してすてたまはざればすなわち正定聚のくらゐにさだまるなり。このゆへに信心やぶれずかたぶかずみだれぬこと金剛のごとくなるがゆへに金剛の信心とはまふすなり。これを迎といふなり。『大経』には「願生彼国即得往生住不退転」とのたまへり。願生彼国は、かのくににむまれむとねがへとなり。即得往生は信心をうればすなわち往生すといふ。すなわち往生すといふは、不退転に住するをいふ。不退転に住すといふは、すなわち正定聚のくらゐにさだまるとのたまふ御のりなり。これを即得往生とはまふすなり。即はすなわちといふ。すなわちといふは、ときをへず日をへだてぬをいふなり。

 (現代語訳) 「来迎」の「迎」は、迎えていただけるということです。待つということです。如来が選択され、われらの思いの及ばない本願、そしてこの上ない智慧の尊号を聞かせていただき、全く疑う心がないことを真実の信心と言います。金剛心とも言います。この信楽を得る時、必ず摂取されて捨てられませんから、直ちに正定聚の位に定まるのです。ですから、信心が破れることなく傾くことなく乱れることがなく、さながら金剛(ダイヤモンド)のようですから、金剛の信心と言うのです。このことを「迎」はあらわしているのです。『大経』には、本願成就文として「かの国に生ぜんと願ぜば、すなはち往生を得、不退転に住せん」と説かれています。「かの国に生ぜんと願ぜば」とは、かの国に生まれようと願いなさいということです。「すなはち往生を得」とは、信心を得れば、直ちに往生するということです。直ちに往生するというのは、不退転の位につくということです。不退転の位につくというのは、直ちに正定聚の位に定まるという教えです。これを即得往生と言うのです。即とは、すなわちということです。すなわちというのは、時を経ず、日を隔てないということです。

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