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『唯信鈔文意』を読む(その58) ブログトップ

本文7 [『唯信鈔文意』を読む(その58)]

(13)本文7

 おほよそ十方世界にあまねくひろまることは、法蔵菩薩の四十八大願の中に、第十七の願に十方無量の諸仏にわがなをほめられむとなえられむとちかひたまへる、一乗大智海の誓願成就したまへるによりてなり。『阿弥陀経』の証誠護念(しょうじょうごねん)のありさまにてあきらかなり。証誠護念の御こころは『大経』にもあらわれたり。また称名の本願は選択の正因たることこの悲願にあらわれたり。この文のこころはおもふほどはまふさず、これにておしはからせたまふべし。この文は後善導法照禅師(ほっしょうぜんじ)とまふす聖人の御釈なり。この和尚おば法道和尚と慈覚大師はのたまへり。また『伝』には廬山の弥陀和尚ともまふす。浄業和尚ともまふす。唐朝の光明寺の善導和尚の化身なり。このゆへに後善導とまふすなり。

 (現代語訳) そもそも名号が十方世界の隅々にまで広まっていますのは、法蔵菩薩の四十八願の中の第十七の願に、十方世界の無数の諸仏にわが名がほめられ称えられようと誓われ、その一切衆生を救いに導く智慧の海のような誓いが成就されたことによるのです。それはまた『阿弥陀経』に、諸仏が念仏の教えを真実であると証明し念仏の行者を護ってくださると書いてあることによっても明らかです。この証誠護念の趣旨は『大経』にも説かれています。また称名こそ弥陀がわれらの往生のために選択してくださった正因であることはこの第十七願にはっきり表れています。この文章の意味は思うようには申せません、これまで述べてきましたことから推し量ってください。この文章は後善導法照禅師といわれる聖人の注釈です。この和尚を法道和尚と慈覚大師は呼ばれました。また『伝記』には、廬山の弥陀和尚とも書いてあります。浄業和尚とも言います。唐代の光明寺の善導和尚の化身です。ですから後善導と言うのです。


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