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『唯信鈔文意』を読む(その63) ブログトップ

本文8 [『唯信鈔文意』を読む(その63)]

(2)本文8

 まずは第1段で、最初の二句「彼仏因中立弘誓 聞名念我総迎来」を注釈しています。

 「彼仏因中立弘誓(ひぶついんちゅうりゅうぐぜい)」。このこころは、彼はかのといふ。仏は阿弥陀仏なり。因中は法蔵菩薩とまふししときなり。立弘誓は、立はたつといふ、なるといふ。弘はひろしといふ、ひろまるといふ。誓はちかひといふなり。法蔵比丘、超世無上のちかひをおこしてひろくひろめたまふとまふすなり。超世はよの仏の御ちかひにすぐれたまへりとなり。超はこえたりといふ、うえなしとまふすなり。如来の弘誓おこしたまへるやうは、この『唯信鈔』にくわしくあらわれたり。「聞名念我」といふは、聞はきくといふ、信心をあらわす御のりなり。名は御なとまふすなり、如来のちかひの名号なり。念我とまふすは、ちかひのみなを憶念せよとなり。諸仏称名の悲願にあらわせり。憶念は信心をえたるひとはうたがひなきゆへに本願をつねにおもひいづるこころのたえぬをいふなり。「総迎来」といふは、総はふさねてといふ、すべてみなといふこころなり。迎はむかふるといふ、まつといふ、他力をあらわすこころなり。来はかへるといふ、きたらしむといふ、法性のみやこへむかへゐてきたらしめかへらしむといふ。法性のみやこより衆生利益のためにこの娑婆界にきたるゆへに来をきたるといふなり。法性のさとりをひらくゆへに来をかへるといふなり。

 (現代語訳) まず「彼仏因中立弘誓」。「彼」は「かの」ということです。「仏」とは阿弥陀仏です。「因中」とは、阿弥陀仏がまだ法蔵菩薩であった時ということです。「立弘誓」の「立」は「たつ」ということ、「なる」ということです。「弘」は「広い」ということ、「広まる」ということです。「誓」は「ちかい」ということです。法蔵比丘が超世の無上の誓いを起こして、広められたといっているのです。「超世」とは、他の仏の誓いと比べて優れているということです。「超」とは「超えている」ということ、「上がない」ということです。如来が弘誓をおこされた旨は、この『唯信鈔』に詳しく書かれています。次に「聞名念我」ですが、「聞」は「きく」ということ、信心をあらわすことばです。「名」は「みな」ということです、如来の誓いの名号のことです。「念我」とは、誓いのみなを憶念せよということです。それは、諸仏称名の願すなわち第十七願に表されています。「憶念」というのは、信心を得た人は疑いの心がありませんから、本願をいつも心に思い出して絶えないことです。「総迎来」の「総」とは「たばねて」ということ、「すべてみな」という意味です。「迎」は「むかえる」ということ、「まつ」ということで、他力をあらわしています。「来」は「かえる」ということ、「来させる」ということ、悟りという法性のみやこへ迎えて、来させ、帰らせるということです。また、法性のみやこから衆生を助けるためにこの娑婆世界に来られますから、来をくるというのです。法性の悟りをひらきますから、来を帰るともいうのです。


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