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「する」は未来形 [『唯信鈔文意』を読む(その82)]

(6)「する」は未来形

 ぼくらは普段「する」ことに忙しく、「いる」ことにはほとんど意識が向かいません。でも、ぼくらは何を「する」にせよ、ここに「いる」ことが前提となっています。あまりにも当たり前で意識することはありませんが、ぼくはぼくとしてここに「いる」からこそ、さまざまなことを「する」ことができるのです。
 ここで「する」と「いる」の時制を考えておきましょう。
 まず「する」は未来形です。何を「する」にせよ、それは「これから」であるということ。「そんなばかな」という反論が出るでしょう、もうすでに「した」もあるし、ただいま「しつつある」もあるじゃないかと。
 実際、ぼくはいままさにパソコンキーボードをたたきつつあります。そしてほんの少し前にお茶を飲みました。こんなふうに「する」ことは未来形だけでなく、現在進行形も過去形もあるのは当然です。それは何かを「する」ことが、「これから」起こるか、「ただいま」起こっているか、「もうすでに」起こってしまったかという区別です。
 しかしここで「する」は未来形だと言っているのは、何かを「する」ことが起こるのが未来であろうと、現在であろうと、過去であろうと、「する」ことは本質的に未来形だということです。いまキーボードをたたきつつあるのも、それに先立って「これからキーボードをたたこう」と思ったからだということ、少し前にお茶を飲んだのも、それに先立って「これからお茶を飲もう」と思って飲んだということです。
 まずもって「これから」何かをしようと思わなければ、何ごとも「する」ことができないということ、これです。

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