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ここにいていいのか? [『唯信鈔文意』を読む(その88)]

(12)ここにいていいのか?

 「何を目的に生きていったらいいのか」という問いは、目の前に大きな壁が立ちふさがり、途方に暮れたときに生まれます。しかし「ここにいていいのか」という問いは、いまここに「いる」、その足下にポッカリと大きな穴が開いてしまったということです。サルトルも「気がついたらこの世界のまっただなかに投げ出されていた」という言い方をします。でもサルトルはそこから「われらは自由だ」と叫ぶのです。この違いはどこから来るのでしょう。
 悪の問題です。
 「みづからがみをよしとおもふこころをすて」とありました。ぼくらは普段「みづからがみをよしとおもふこころ」をもって生きています。わが身をとりたてて善人と思うことはなくても、とりあえずは「よし」と思っているでしょう。それも、あなたはわが身をどう思っていますかと問われてはじめて、そんなふうに思うだけで、さもなければ「よし」とも「あし」とも思わず、「これから」どうすべきかに忙殺されています。
 しかし何かのきっかけで自分の中の悪に直面させられることがあります。そんなときです、「このまま生きていていいのか」という問いが突きつけられるのは。これは「これからどう〈する〉べきか」という問いではありません、「いまここに〈いる〉資格があるのか」という問いです。
 普通は無意識のうちに「みづからがみをよしとおもふこころ」を持っています。そして無意識のうちに「みづからがみをたのみ」としています。ですからこんな問いとは無縁です。壁にぶつかり呆然として「これからどうしたらいいのか」と戸惑うことはあっても、「このまま生きていていいのか」とは思いません。ところが思いもかけず「みづからがみをよしとおもふこころ」に疑問符がつくのです。「みづからがみをたのみ」にできるのかと問われるのです。


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