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煩悩とは煩い、悩むこと [『唯信鈔文意』を読む(その99)]

(5)煩悩とは煩い、悩むこと

 煩悩とは、ただ欲を起こし、腹を立てることではありません。そのことを煩い、悩むことです。先回のところ(本文10)に「煩はみをわづらはす、悩はこころをなやます」とありましたが、それが煩悩です。塵労にも同じことが言えます。貪欲・瞋恚・愚痴を穢れ(塵)と感じ、それに苦しむ(労)ことです。
 ただ欲を起こし、腹を立てるだけなら、それだけのことにすぎませんが、それを煩い、悩むことではじめて煩悩となります。それを穢れと感じ、苦しむことではじめて塵労です。そして、ここが不思議なところですが、煩い悩み、穢れと感じ苦しむことで、それらはもう怒り、そねみ、ねたみではなくなってしまうのです。
 貪欲・瞋恚・愚痴が煩悩として姿を現し、塵労として現われたそのときに、それらはもう貪欲・瞋恚・愚痴でなくなってしまう。
 具体的な場面で考えてみましょう。少し前のことですが、山口県周南市のたった14人の山あいの小さな集落で、一人の男が、隣近所との些細な諍いが積もりに積もり、ついに5人もの人を手に掛けてしまいました。彼のこころに恐ろしい瞋恚の炎がメラメラと燃え上がり、もうなすすべもなくその奔流に身を任せてしまった。
 自分を突き動かしているのが激しい怒りであることは百も承知の上でしょうが、それは煩悩でも何でもありません。彼の中には腹立ち、ねたみ、そねみが渦巻いていますが、それはみな向こうに原因があり、腹が立つのは当然のことと思っているでしょう。ですから、ただひたすら怒るばかりで、煩い悩むこころは一片もありません。
 煩い悩むようになるのは腹立ちの原因がこちらにもあると気づかされるからです。悪いのは向こうばかりではない、こちらも悪い、と思う。ただ一方だけが悪いのでは諍いになりません、どちらも悪いからこそ口論にもなり、殴り合いにもなるのです。


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