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38億歳 [『唯信鈔文意』を読む(その106)]

(12)38億歳

 この地球上にいのちが生まれたのが38億年前だそうです。海の中にふるえるようないのちが誕生した。それが38億年という思いも及ばない長い年月を経て、今日のいのちたちの姿をとっているわけです。ぼくもその一人です。はじめのいのちとぼくとをつなぐ糸がどこか一箇所でも切れていれば、ぼくはいまここに存在していません。とすれば、ぼくは紛れもなく38億歳ではないでしょうか。ぼくが母から生まれてからは68年ですが、それまでの38億年に比べれば無きに等しい。
 ぼくの耳の辺りでブーンと飛んでいる蚊もぼくと同じ38億歳です。その蚊を手でパチンと叩きますと、そこで蚊の38億年の歴史が閉じられることになります。それを思うとちょっとこころが痛みます。まあしかし、ぼくもいつなんどき38億年の歴史に幕を下ろすことになるか分からない年になりました。ぼくの38億年が終るのも、それはそれで悲しい。しかし、蚊の38億年が終っても、ぼくの38億年が終っても、いのちそのものは何ごともなかったかのように38億年の歴史を続けていきます。無数のいきものたちが38億歳のいのちを紡いでいるのですから。
 このように考えますと、ぼくのふるさとは38億年の「いのちの海」で、それは法蔵のふるさとである「一如」のことではないでしょうか。どうしてかといいますと、もしそうでなければ、ぼくが法蔵に遇うことはかなわないからです。改めて誰かに遇うということを考えてみましょう。これまで何度も言いましたように、遇うとは「思いがけず遇う」ということで、「そのつもりで会う」のとはまったく違います。さて、これまで遇ったことのない人と遇うということはどうして可能か。遇ったことのない人にばったり遇って、「あっ、この人だ」と思うというようなことがどうして起こるのでしょう。

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