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『唯信鈔文意』を読む(その122) ブログトップ

本文15 [『唯信鈔文意』を読む(その122)]

                第9回 

(1)本文15

 これは『大経』の本願の三信心なり。この真実信心を世親菩薩は「願作仏心(がんさぶっしん)」とのたまへり。この信楽は仏にならむとねがふとまふすこころなり。この願作仏心はすなわち度衆生心(どしゅじょうしん)なり。この度衆生心とまふすは、すなわち衆生をして生死の大海をわたすこころなり。この信楽は衆生をして無上涅槃にいたらしむる心なり。この心すなわち大菩提心なり。大慈大悲心なり。この信心すなわち仏性なり。すなわち如来なり。この信心をうるを慶喜(きょうき)といふなり。慶喜するひとは諸仏とひとしきひととなづく。慶はよろこぶといふ。信心をえてのちによろこぶなり。喜はこころのうちによろこぶこころたえずしてつねなるをいふ。うべきことをえてのちに、みにもこころにもよろこぶこころなり。信心をえたるひとおば分陀利華(ふんだりけ)とのたまへり。

 (現代語訳) この信心は『大経』の第18願の三信心、すなわち至心、信楽、欲生のことです。この真実の信心を世親菩薩は「願作仏心」と呼ばれました。「仏になりたいと願う心」ということです。この「願作仏心」はすなわち「度衆生心」です。「度衆生心」と言いますのは、衆生を生死の迷いの海に沈まないように渡してあげるということです。この信心は衆生を無上の悟りに至らせてあげようという心です。この心はすなわち大菩提心です。大慈大悲の心です。この信心がすなわち仏性です。つまり如来です。この信心を得ることを「慶喜」と言います。慶喜する人は諸仏と等しい人と名づけられます。「慶」とは「よろこぶ」ということで、信心を得てのちによろこぶことです。「喜」は心のうちによろこぶことで、よろこびが絶えないことです。得るべきことを得てのちに、身にも心にもよろこぶことです。信心を得た人を『観経』では分陀利華、白い蓮の華と呼ばれています。


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