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『唯信鈔文意』を読む(その152) ブログトップ

本文19 [『唯信鈔文意』を読む(その152)]

                第11回 

(1)本文19

 「不簡破戒罪根深(ふけんはかいざいこんじん)」といふは、もろもろの戒をやぶり、つみふかきひとをきらはずとなり。このやう(様)ははじめにあらわせり。よくよくみるべし。

 (現代語訳) 慈愍三蔵の「不簡破戒罪根深(破戒と罪根の深きとをえらばず)」ということばは、もろもろの戒律を守ることができない罪の深いものをも嫌うことなく救ってくださるということです。この文はすでに前に取り上げられています。そこをよく御覧になってください。

 聖覚は、至誠心に続いて深心を取り上げ、それは信心であるとした上で、己れの罪深さに不安をいだき「いかでかこのみをむかへたまはむ(こんなわが身がどうして往生できようか)」という疑いが頭をもたげることがあると言います。それが信心の妨げになると。それに対してすかさず「仏いかばかりのちからましますとしりてか、罪悪のみ(身)なればすくわれがたしとおもふべき」と諭すのです(このことばは『歎異抄』の第13章にも引用されています)。
 その上でこう言います、「五逆の罪人すら、なほ十念のゆへにふかく刹那のあひだに往生をとぐ。いはんや、つみ五逆にいたらず、功十念にすぎたらむおや(五逆の悪人でさえ十回の念仏でただちに往生できるのですから、五逆の罪まではいかず、しかも十回どころではない念仏をしているものはなおさらです)」と。そしてそのあとに「不簡破戒罪根深(破戒と罪根の深きとを簡ばず)」という慈愍三蔵のことばをもう一度(すでに第5回のところで出されています)持ち出すのです。

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