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『唯信鈔文意』を読む(その158) ブログトップ

本文20 [『唯信鈔文意』を読む(その158)]

(7)本文20

 「乃至十念若不生者不取正覚(ないしじゅうねん、にゃくふしょうじゃ、ふしゅしょうがく)」といふは、選択本願の文なり。この文のこころは、乃至十念のみな(御名)をとなえむもの、もしわがくににむまれずば、仏にならじとちかひたまへる本願なり。乃至は、かみ・しもと、おほき・すくなき・ちかき・とおき・ひさしきおも、みなおさむることばなり。多念にとどまるこころをやめ、一念にとどまるこころをとどめむがために、法蔵菩薩の願じまします御ちかひなり。
 「非権非実(ひごんひじつ)」といふは、法華宗のおしえなり。浄土真宗のこころにあらず。聖道家のこころなり。かの宗のひとにたづぬべし。

 (現代語訳) 「乃至十念若不生者不取正覚(ないし十念せん、もしむまれずば正覚をとらじ)」と言いますのは、選択本願、第十八願の文です。この文は、たった十回でも念仏を称える者が、もしわたしの国に往生できなければ、仏とはならないとお誓いになった本願です。「乃至」とは、「上」「下」、「多い」「少ない」、「近い」「遠い」、「久しい」など、みなその中に収めていることばです。多念に拘ったり、一念に拘ったりしないようにと、法蔵菩薩が願い誓ってくださったのです。
 「非権非実(権にあらず、実にあらず、方便でも真実でもなく、その中道)」ということばが出てきましたが、これは法華宗(天台宗)の教えです。浄土真宗の教えではありません。聖道門で言われることですから、法華宗の人に尋ねてください。

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