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「ナムアミダブツ」はインドのことば [『唯信鈔文意』を読む(その164)]

(13)「ナムアミダブツ」はインドのことば

 「源左、助くる」という声が聞こえて、思わず源左の口からもれた「ようこそ、ようこそ」が他力の念仏です。それは確かに源左の口から出ていますが、源左がそう言おうと思って言ったことばではありません。ふと口をついて出てきたことばです。「源左、助くる」ということばがどこからかやってきて、源左の身体を通り抜け、「ようこそ、ようこそ」ということばとなって出て行ったという感じです。
 「ようこそ、ようこそ」が源左の念仏だとしますと、念仏は何も「南無阿弥陀仏」に限らなくてもいいのではないでしょうか。
 そもそも「ナムアミダブツ」とは古代インドのことばです。その音がそのまま漢字に写し取られて「南無阿弥陀仏」となり、漢訳経典とともにわが国にもたらされた。こんなふうに、よその国のことばが遠い昔にやってきて、いつの間にかそのまま居ついたのです。そのうちに日本の風土に馴染んで、もう根っからの日本語のような顔つきをしています。だからこそ尊いと言うこともできます。
 そのことばが風土に馴染んでいるように、自分の身体にも馴染んでいる人は、それがふと口をついて出てくるでしょう。もう空気のように当たり前になっていれば、意識することなく自然に口からもれることでしょう。ぼくらが思いがけない親切をしてもらって「ありがとう」と言うように、その人なら「南無阿弥陀仏」と言うでしょう。散歩をしていて、向こうからやってくる見知らぬ人がにっこり微笑んでくれたら、ぼくらは思わず「こんにちは」と言いますが、その人なら「南無阿弥陀仏」と言うでしょう。
 そのことばが風土に馴染んでいるということは、「ありがとう」や「こんにちは」の代わりに「南無阿弥陀仏」と言うことが違和感なく受け取られるということです。言う方も自然だし、聞く方も自然です。

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