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自力と他力 [『唯信鈔文意』を読む(その177)]

(12)自力と他力

 その方のように考えれば、太陽が照るのも、雨が降るのも、風が吹くのもすべて他力ということになります。自力なんてそうした他力の前には、あるかなきかのはかないものでしかありません。そのこと自体に間違いはないでしょうが、親鸞が「自力と他力」ということばで言おうとしているのはそういうことでしょうか。どうも違うような気がするのです。でもどこがどう違うか、これをことばにするのはなかなか難しい。
 ぼくらは生きているのではない、生かせていただいているのだ、という言い方もおなじみです。ぼくらは心臓や胃腸や太陽や雨や、その他無数のものたちのお蔭で、生かせていただいている。それはその通りです。あるいはよく親父が言うことをきかない子どもに向かって「おまえは誰のお蔭でここまで大きくなれたと思っているんだ」と叱ったりしますが、これまたその通りで、みんな父母のお蔭で生かせていただいています。それに感謝の気持ちを持たなければなりません。でも、親鸞が言う他力とはこういうことでしょうか。何か違う気がするのです。
 まず自力の意味を確認しておきましょう。
 それは「自らの力で何かをすること」と言っていいでしょう。ただ「自らの力」ということではなく、それで「何かをすること」という点が大事です。力は、それで何かをすることができて、はじめてその存在が確認されるのです。「ここがロドスだ、ここで跳べ」というイソップのことばはそのことを言っています。ぼくにはこんなことをする力があるのだと言うだけではダメで、実際にその力でそれをしてみなければなりません。そうしてはじめて力があることになるのです。
 では他力とは「他の力で何かをすること」でしょうか。

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