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『一念多念文意』を読む(その23) ブログトップ

本文3 [『一念多念文意』を読む(その23)]

(10)本文3

 「至心回向」といふは、「至心」は、真実といふことばなり、真実は阿弥陀如来の御こころなり。「回向」は、本願の名号をもて、十方の衆生にあたへたまふ御のりなり。「願生彼国」といふは、「願生」は、よろづの衆生、本願の報土へむまれむとねがへとなり。「彼国」とは、かのくにといふ。安楽国をおしへたまへるなり。「即得往生」といふは、「即」は、すなわちといふ、ときをへず、日おもへだてぬなり。また「即」は、つくといふ、そのくらゐにさだまりつくといふことばなり。「得」は、うべきことをえたりといふ。真実信心をうれば、すなわち無碍光仏の御こころのうちに摂取して、すてたまはざるなり。摂は、おさめたまふ、取はむかへとるとまふすなり。おさめとりたまふとき、すなわち、とき・日おもへだてず、正定聚のくらゐにつきさだまるを、「往生をう」とはのたまへるなり。

 「至心回向」と言いますのは、「至心」とは真実ということばで、真実とは阿弥陀如来のおこころを言います。「回向」は、本願の名号を十方世界の衆生に与えたまうということです。「願生彼国」と言いますのは、「願生」は、すべての衆生が本願の報土に生まれたいと願いなさいということです。「彼国」とは、「かのくに」ということです。安楽国を指しています。「即得往生」と言いますのは、「即」は「すなわち」ということで、時をおかず、日も隔てないということです。また「即」とは「つく」ということで、その位に定まりつくということです。「得」は、得るべきことを得たということです。真実の信心を得れば、そのまま無碍光仏のおこころのうちに摂取していただき、捨てられません。「摂」は「おさめていただく」ということ、「取」は「迎えとる」ということです。おさめとっていただくとき、そのまま、時・日を隔てずに正定聚の位につくことを「往生を得る」と言われているのです。

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