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使役 [『一念多念文意』を読む(その25)]

(12)使役

 たとえば唐代の僧・慈愍三蔵の文である「但使回心多念仏 能令瓦礫変成金(たんしえしんたねんぶつ のうりょうがりゃくへんじょうこん)」には「使」と「令」と二回も使役をあらわす文字が入っています(親鸞はこう読み下します、「ただ回心して多く念仏せしむれば、よく瓦礫をして変じて金と成さんがごとくせしむ」―『唯信鈔文意』)。これは法蔵菩薩の誓いを表現しているのですが、試しにこの「使」と「令」を省くとどうなるでしょう。「ただ回心して多く念仏すれば、よく瓦礫を変じて金とさなむ」となり、むしろすっきりして分かりやすくなるのではないでしょうか。
 因みに『無量寿経』の第十八願はこうです、「十方の衆生、心をいたし信楽してわがくににむまれんとおもふて乃至十念せん。もしむまれずば正覚をとらじ」。「心から信じて、浄土に往生したいと思い、十回も念仏すれば、かならず往生させよう」ということで、これもすんなり頭に入ります。「本願を信じ念仏すれば往生できる」というのですから、実にすっきりしています。どうしてそこに使役の助動詞を加えて、「信心させ、念仏させる」としなければならないのか。
 前に「未然形+ば」と「已然形+ば」の違いについてお話したことがあります。「本願を信じ念仏をまうさば仏になる」(『歎異抄』第12章)と「本願を信じ念仏をまうせば仏になる」。前者は「もし本願を信じ念仏すれば」(仮定)であり、後者は「本願を信じ念仏するので」(理由)となります。学校の先生は「しっかり勉強しなさい、そうすればテストに合格できますよ」と言いますが、これが前者の形です。「もしあなたがしっかり勉強すれば」というわけです。これは励ましのことばでしょうが、生徒とすればさほど有難くないでしょう。あるいはぼくのような天邪鬼の生徒は「それでは、ぼくは勉強しません」と反発するかもしれません。

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